CHEF COLUMN
2021年度の新卒者
- 2021.02.01
- CHEF COLUMN
今年も4月からプランナー2名、サーヴィス2名、パティシエ4名の計8名の新入社員が入ってきます。
昨年からの新型コロナウィルスの影響で面接するのも困難でしたが、多くの希望者の内から選ばれた人材です。
1日でも早くワクチンが全世界に行き届き、終息へと向い新しいスタッフたちが活躍できることを心から願っています。
3月からは春のブライダルシーズンに入り、結婚式もたくさん入っています。
今回は、残念ながら料理人の新卒者は採用には至らなかったですが、是非、やる気のあるスタッフ募集中です。
サーヴィス業、飲食関係にとって今年も厳しい状況が続く中、8名の新入社員を迎えることができ、何事にも前向きに考えていきたいと思っています。
さて、もう40年近く前のことですが、自身の新入社員だった頃はどうだったかを少し振れたいと思います。
調理師専門学校を卒業後、当時心斎橋パルコのレストラン街にあった『キングスベンチ』という欧風レストランに就職が決まり料理人としてのスタートを切りました。
同期が1人いたのですが、すでにアルバイトとして1ヶ月先に厨房に入っていたので最初から遅れをとることになりました。
洗いものの仕方からフライパンや鍋のある場所まで、同期のスタッフに教えてもらうことになり悔しい思いをしました。
向こうも勝ち気な性格だったため、よく衝突もしてその差を埋めるのに3ヶ月ぐらいかかったように思います。
仕事は毎日洗いものや野菜の下ごしらえばかりで来る日も来る日も朝、昼、晩の賄い当番。
朝早くから夜遅くまで休憩なしで1日がすごく長い。
毎日、『いつ辞めようか』と考える日々が続いたのを覚えています。
そう思いながらも同期には負けたくない一心で頑張り、立場が逆転しました。
しばらくすると店に来なくなり辞めてしまったのです。
雑用も賄いも1人でやらなくてはいけない厳しい状況になりました。
その数日後、急に先輩も辞めてしまい、残ったのは料理長と二番手。それにまだ駆け出しの自分の3人だけ。
定休日がなく、交代で休みを取るので二番手が休みのときは料理長と二人きり。60席ぐらいあったので大変なんてものでは済まなかったです。
熱湯入りの寸胴を足の上に落としてしまったのは、12月に入り休みも取れなくなった忙しい時期でした。
履いていた靴の中に熱湯が入り、皮膚が靴下とくっついてしまうほどの大やけど。
病院に行って応急手当てをしてもらい、すぐに厨房に戻りました。
『帰れ。と言ってくれないかなあ』まだ自分にも甘かった証拠です。
でも、誰も声をかけてくれない。その時思ったのは『よし、やるしかない!!』ということです。
屈伸さえ出来ない足を引きずりながら、仕事を続けました。
厨房の張りつめた空気の中に、こんな駆け出しの自分でも当てにされているのがひしひしと伝わってきました。
ここにいるスタッフ全員が力を尽くして料理を出し続ける。
体調が悪かろうが、下っ端だろうが関係ない。
出ていく料理に対する責任感と使命感だけが料理人を支えているそういうことがわかった日でした。
この頃から料理人としての自覚が芽生え、翌年の4月には後輩も入ってきて雑用も賄い当番も半減し、人に教える楽しさも多少感じることができるようになりました。
当然、下積みはまだまだ続くけれど
『この仕事はやればやった分だけ自分の糧になるところがいい。負けず嫌いの自分の性格にはぴったりだ』
『よし。この料理人の道で一生やっていくぞ!!』
とようやく思えるようになった。
そんな1年目でした。
どんな辛いことがあってもまずは1年やってみる。
そして、石の上でも3年。その後、5年。
入社してくれたスタッフには最低それぐらいの年数はやってほしいと思っています。
新入社員の皆さん!!4月からよろしくお願いします!!
↓一歳差の後輩(左)と記念撮影
昨年からの新型コロナウィルスの影響で面接するのも困難でしたが、多くの希望者の内から選ばれた人材です。
1日でも早くワクチンが全世界に行き届き、終息へと向い新しいスタッフたちが活躍できることを心から願っています。
3月からは春のブライダルシーズンに入り、結婚式もたくさん入っています。
今回は、残念ながら料理人の新卒者は採用には至らなかったですが、是非、やる気のあるスタッフ募集中です。
サーヴィス業、飲食関係にとって今年も厳しい状況が続く中、8名の新入社員を迎えることができ、何事にも前向きに考えていきたいと思っています。
さて、もう40年近く前のことですが、自身の新入社員だった頃はどうだったかを少し振れたいと思います。
調理師専門学校を卒業後、当時心斎橋パルコのレストラン街にあった『キングスベンチ』という欧風レストランに就職が決まり料理人としてのスタートを切りました。
同期が1人いたのですが、すでにアルバイトとして1ヶ月先に厨房に入っていたので最初から遅れをとることになりました。
洗いものの仕方からフライパンや鍋のある場所まで、同期のスタッフに教えてもらうことになり悔しい思いをしました。
向こうも勝ち気な性格だったため、よく衝突もしてその差を埋めるのに3ヶ月ぐらいかかったように思います。
仕事は毎日洗いものや野菜の下ごしらえばかりで来る日も来る日も朝、昼、晩の賄い当番。
朝早くから夜遅くまで休憩なしで1日がすごく長い。
毎日、『いつ辞めようか』と考える日々が続いたのを覚えています。
そう思いながらも同期には負けたくない一心で頑張り、立場が逆転しました。
しばらくすると店に来なくなり辞めてしまったのです。
雑用も賄いも1人でやらなくてはいけない厳しい状況になりました。
その数日後、急に先輩も辞めてしまい、残ったのは料理長と二番手。それにまだ駆け出しの自分の3人だけ。
定休日がなく、交代で休みを取るので二番手が休みのときは料理長と二人きり。60席ぐらいあったので大変なんてものでは済まなかったです。
熱湯入りの寸胴を足の上に落としてしまったのは、12月に入り休みも取れなくなった忙しい時期でした。
履いていた靴の中に熱湯が入り、皮膚が靴下とくっついてしまうほどの大やけど。
病院に行って応急手当てをしてもらい、すぐに厨房に戻りました。
『帰れ。と言ってくれないかなあ』まだ自分にも甘かった証拠です。
でも、誰も声をかけてくれない。その時思ったのは『よし、やるしかない!!』ということです。
屈伸さえ出来ない足を引きずりながら、仕事を続けました。
厨房の張りつめた空気の中に、こんな駆け出しの自分でも当てにされているのがひしひしと伝わってきました。
ここにいるスタッフ全員が力を尽くして料理を出し続ける。
体調が悪かろうが、下っ端だろうが関係ない。
出ていく料理に対する責任感と使命感だけが料理人を支えているそういうことがわかった日でした。
この頃から料理人としての自覚が芽生え、翌年の4月には後輩も入ってきて雑用も賄い当番も半減し、人に教える楽しさも多少感じることができるようになりました。
当然、下積みはまだまだ続くけれど
『この仕事はやればやった分だけ自分の糧になるところがいい。負けず嫌いの自分の性格にはぴったりだ』
『よし。この料理人の道で一生やっていくぞ!!』
とようやく思えるようになった。
そんな1年目でした。
どんな辛いことがあってもまずは1年やってみる。
そして、石の上でも3年。その後、5年。
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新入社員の皆さん!!4月からよろしくお願いします!!
↓一歳差の後輩(左)と記念撮影
〒514-0131
三重県津市あのつ台5-2-1
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